2004年05月28日

がんばれ共和国との出会い

第1回Ganbare1.jpg
第1回がんばれ共和国(1991年) 富士宮市「富士山麓山の村 剣が峰ロッジ内」

1991年第1回サマーキャンプ「がんばれ共和国」/難病とたたかう子供達支援運動
剣が峰ロッジ内、参加仲間達の13年前の写真です。 
前列右端が私です、その隣が息子の俊輝と娘の友梨です。
何故か女房だけは右端後列にいます、恥ずかしかったのかな…?
息子の病気(筋ジストロフィー)を知って2年後
彼が9才の時、遠路はるばる九州から参加しました。
動機はすごく単純で、富士山を生で目前に見たかったのと
熱気球に乗りたいだけの、軽いのりで参加しました。


しかし、この体験は私達家族にとってと云うより
私自身にとって、とても重要で貴重な体験でした。
障害者の父親として、人間として、最も大事な事を一緒に参加した家族の
お父さんやお母さん、そして子供達から学びました。
さらにスタッフやボランティアの方々との出会いが有りました。
いろんな人達との触れ合いがあり、その後13年間も関わる事になると
誰が想像したでしょうか?


事務局長の小林氏と風呂に入った時の、何気ない会話が切っ掛けで
次の年、第2回目の「がんばれ共和国」よりステンドグラス教室をやる事に成りました。
12年経った今も、いろんな地域の心ある人達のお陰で続けさせて貰ってます。
ありがとうございます! この場を借りてお礼申し上げます。


ちなみに、待望の熱気球には、我々の順番目前で風の為、残念ですが乗れませんでした。
しかし、後日談が有りますので次に書かせて頂きます。

投稿者 TT : 23:40 | コメント (0)

2004年05月26日

がんばれ共和国in九州

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難病の子供達のサマーキャンプ、第11回「がんばれ共和国in九州」が動き始めました。
今年は少しノンビリしています。
11回目の今年は遅れた理由として、若干環境の変化がありました。
ここ3年、利用させて頂いてます湯布院ハイツ(国の運営)が、民間経営になり、
施設の名前も「湯布院なないろの風」に変更になったり、
頭の痛い、費用の値上げ等があり、交渉に少々時間が掛かった為です。
でも施設側のご理解を頂き、値上げには成ったものの、
ご厚意で我々の言い分は、少し叶えて頂きました。
毎年、いろいろ問題が出てきますが、ひとつひとつ解決に向け
スタッフ一同、ケンケン諤々、勝手に言い合い、会議をしております。
また、これが愉しんですよね! 今年も楽しい企画考えてます。


ちなみに、今年は8/20(金)・21(土)・22(日)に行います!
参加費用:15000円です。
ボランティア募集してます!
連絡先:がんばれ事務局(福岡総研内) tel092-525-4545

投稿者 TT : 15:07 | コメント (0)

2004年05月13日

移転のおしらせ

この度、下記の地に縁があり、工房と住まいを移転することに成りました。

福岡市中央区大濠2丁目1−20  大濠パークハウス101
tel 092-751-7975
fax 092-751-7973

少し変更で、6月21日より、この住所になりますので、よろしく御願いします。
※とても環境の良い所です、大濠公園のすぐ横です。
 これから、ますます良い作品を創って行かないと怒られそうですね!


投稿者 TT : 16:06 | コメント (1)

2004年05月09日

ステンドグラスへの想い 4

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第2回 ’84 日本ステンドグラス・グランドショウ出品作品


教室が、一般の人達にステンドグラスを普及させた功績は大きい。
しかし、古いデザインが良しと言われた時代に、
外から(黒船かな…)新しい波が押し寄せて来た。

『New Glass』、この本を手にした時は衝撃でした。

その当時、この本に刺激された人達は、本当に多かったと思います。
日本のコンテンポラリーデザインの幕開けでした。
古いデザインに食傷気味だった感性の鋭い人達が、一斉に飛びついたと思います。
その後、1983年に西新宿超高層野村ビルで開催された公募展、
「第1回 ’83日本ステンドグラス・グランドショー」に現象として現れたと思います。
これはカルチャーショックでしたね!
日本のステンドグラス業界を、根底からひっくり返したと云っても、過言ではないでしょう。
『New Glass』の波が実際に形になったのですからね!
会場には、言葉では言い表せられない、熱気を強く感じました。
日本中のクリエイティブな、感性鋭い若い人達が、新しいデザインや、
実験的な試みの作品を多数出展していたのですからね! ショックでした!
正直云って、焦りましたね。 
その中でもS氏の作品には脱帽でした。

この時程、福岡の地が遠過ぎると痛く感じたことは有りませんでした。
次(来年)こそは、この人達に負けない作品を創りたい、そして一緒に展示したいと
しみじみ思いましたね。
展示する事だけは、叶えましたけど、前者のことは、疑問ですね…?
でも、その後、目指すものが、目標としてはっきり私の中に芽生えたのは、
今思うとこの時でしたね。
あの時のショック…、やはり忘れられないですね!

上記の写真が、翌年のグランドショウに出品した作品です

投稿者 TT : 23:46 | コメント (0)

2004年05月04日

ステンドグラスへの想い 3

日本でのステンドグラスの歴史に、時々思うことだけど、
明治時代に最初入ってきたことは、書物等に皆さん書いてるので解っている。
西の宇野澤組、東の小川三知氏から始まったと言われる。
門外不出だった技法、徒弟制度の閉鎖的な工房の永く続いた中で、現在のように教室として
一般にまで広まってきた原因は…?
意外と、書かれた事がないし、関係者の皆さんは言ってきて無いように思う。
ベルリンの壁が崩壊したような事が、ある時期ステンドグラスの世界に
何かが起こった事は確かである。
私だけが知りたいのかな…!  何千、何万のステンドグラス人口がいる現在、
教室の創世記を知らない人達が増えてきた以上、残し、知らせる責任が有ると
思うのは僕だけだろうか?
30年前、名古屋から産声があがった新しいステンドグラスの波。
ガラスも限られたルートで、限られた種類しか手に入れる事が出来なかったと聴く。
ガラスをもっと自由に手に入れたいと…手探りの中、アメリカから直接輸入する
ルートを見つける、後で知ったのは、そこは普通の個人の工房(スタジオ)
だったらしい。
今では、笑い話で済まされるが大変な苦労だったと思う。
そして、日本に無かったステンドグラス教室へと進む道…、
この事はとても大きい意味を持つ、業界の歴史を塗り替えた出来事だと思います。

投稿者 TT : 23:15 | コメント (0)

2004年05月03日

香月泰男展を観て

昨日、山口県美術館に「香月泰男展」を観に行って来ました。
いやあ、とても良い環境の中にある美術館でしたね。 
周りの新緑の清々しさが美しかったし、空気まで美味しく感じました。
香月泰男展を観たいと思ったのは、NHKの新日曜美術館を見た時、
私としては、久し振りに珍しく、衝動的に観たいと思いましたね。(田中一村以来かな…)
テレビの映像だけでも、かなりショックを受けましたが、
実際に生で近くで見てみると、とにかくシベリア抑留の絵は、重かった!
想像だけで描ける絵ではありませんね、彼自身の腹の底から湧き上がる血の叫びがあってこそ
描ける世界ですね。
シンプルな色づかいと構図、現代版画を見てるような斬新さ、彼独特、木炭の黒絵の具…
何と言えばいいのか、言葉を失う香月泰男の心象風景!
理論や理屈を越えた、体験でしか描き得ない、内面から湧き上がってくる作品ですね。
こんな重くて疲れる絵は描きたく無いけど、 魂(気)の入った作品は好きですね!
余談ですが、最後の部屋でみた、金属と木で作った小作品の人形、ホッとしました、
窓の外、建物の周りを包む新緑の美しさが対象的に心を和ませてくれました。

投稿者 TT : 23:45 | コメント (0)