2004年06月27日

お詫び

大変御迷惑をお掛けしました。
アトリエと自宅の引っ越し無事終わりました。
しかし大変でした…、と云うよりこれからが未だ大変です!

1ヶ月かけて、ぼちぼち引っ越しの準備をしましたので、
楽勝とたかをくくっていたら、大きな間違い。
出てくるわ出てくるわ、色々片付けなければならない事だらけ。
その上、出る不具合、住む不具合ありますね…
私の場合、引っ越し貧乏をまさに絵に描いたみたいで、
知人からは「高見さん引っ越し好きですね」と云われ、
喜んで良いのか悲しむべきか、別に好きこのんで引っ越ししてる訳では無く、
成り行きでと云っておりますが…本当は好きなんでしょうね。
環境が変わると、また新たな気持ちに成ります。
今回は、前回と違い仕事の為に移転しました。
狭く成りましたけど、窓が大きくて、窓の外一面、公園の緑が美しく
お陰で、仕事はとてもし易い環境です。

投稿者 TT : 23:25 | コメント (1)

2004年06月11日

わが家のがんばれ共和国 1

toshiki-1.jpg
週刊女性3月30日号(平成5年)
「ヒューマン・ドキュメント がんばれ!小さな戦士」の記事より

「ねえ、明日は気球に乗れるよね」 平成4年8月22日。
高見俊輝くん(10才)は、静岡県富士宮市の富士山麓で開催された
難病児と家族のサマーキャンプ『がんばれ共和国』に、一家4人で参加していた。
俊輝くんは、2泊3日のキャンプで熱気球のフライトを一番楽しみにしていた。
実行委員のひとりで、仲良しになった吉田尚さん(46才)と
顔を合わせるたび、俊輝くんは繰り返し尋ねるのだ。
吉田さんは何度も念を押されるうち、つい請け合ってしまう。
「おじさんが、絶対に乗せてあげるから、マカセナサイ!」
その言葉を聞いて車椅子の少年はやっと安心したのか、
いかにもうれしそうに、はにかんだ。


当日、熱気球の会場に100人近くの子供達が殺到する。
ロープで繋留された熱気球で10メートルほどの高さに上がるだけだが、
それでも子供たちは大喜びで歓声を上げる。
ところが10数人がフライトしたあとだ。
風が吹き始めると、熱気球が左右に大きく揺れ出す。
大人も子供も全員が風がやむことを祈って息を詰めて見つめるうち、
ついに中止が宣言されてしまう。
「あ-あ、お兄ちゃん、乗れんちゃろう…」
妹の友梨ちゃん(6才)がため息をついた。
「男はあきらめが肝心たい!」
父親の俊雄さん(45才)が慰めると、俊輝くんは唇を噛んだ。
母親の友子さん(32才)は、笑顔を見せるといった。
「乗れなくてよかったと思おうよ。 トシくんの分を、誰かが喜んでくれたんだもん」


もちろん、キャンプでは楽しいことがいっぱいあった。
乗馬、キャンプファイヤー、川遊びと数えればきりがない。
友達もできた。
けれど福岡市に帰る飛行機の中で、俊輝くんの表情はいまひとつ晴れなかった。
一家がキャンプの参加を決めたのも、熱気球が大きな魅力だったからだ。
俊輝くんは、学校の友達や近所の会う人ごとにそれを宣伝していた。
「お母さん、どうゆう(云う)たらよか?」
ポツリと呟くわが子に、母親は返事に詰まる。
「熱気球は、乗れんやったと正直にいえばよか」
父親があっさり答えたが、ほんとうは親たちのほうが熱気球への思いは強かった。
                           
俊輝くんが生まれたのは、昭和58年2月4日。
両親が結婚して2年目のことだ。
父親は妊娠して間もないころから妻のお腹を「はよ(早く)、出てこい」と
さすっては、初めてのわが子の出産を待ち望んだ。
出生時、2570グラムと俊輝くんは未熟児ギリギリの体重で、
乳の飲みが悪くて泣いてばかりの赤ちゃんだった。
四六時中泣く俊輝くんをもてあます母親を、父親は責めては叱ることが、多くなる。
自宅のアパートでステンドグラスの工芸家としてスタートしたばかりの父親は、
食えるようになりたい…という焦りがあった。
母親は、夜中でも近所の公園に行ってはわが子をあやす。
口応えなど一切許さない九州男児の典型のような夫に、母親は黙ってかしずく妻だった。
ひと回り以上も年が離れていることもあったが、
信頼できる夫を支える喜びも大きかった。
俊輝くんの成長は、健康な子よりも少しづつ遅れ、
1歳半でやっと歩き、2才で言葉が出るようになる。

                               取材・文/小林篤
       
・あえて記事そのまま書きました! 
 永い文章になりますが、何回かに分けて書きたいと思っています。

投稿者 TT : 23:53 | コメント (0)

2004年06月04日

ステンドグラスへの想い 5(ZEN編)

zen.jpg
「ZEN」A氏邸 茶室(1988)

この作品は、私の作品の中でも印象深い作品のひとつです。
ステンドグラスを始めて約5・6年経った時巡り会え、
その後の私に、色んな意味で影響を与えてくれた作品です。

その頃、和(日本)風に興味を持ち始めた時で、
伝統的な家屋、畳の部屋にコンテンポラリーデザインのステンドグラスを入れたい、
それもモノトーン(Black & Whit)で表現したい…、さらに和の空間の光りとは…?
障子に映る影の演出が出来ないか…と前々から思ってました。

タイミングよく、親しくしていた建築家から、
今度、略式の茶室にステンドグラスを提案したいのでデザインを描いてくれと依頼。
想いが通じた喜びで、約一ヶ月間はまってデザインしました。
しかし、想いが強過ぎると過剰に意識してしまい、デザイン画がなかなか描けません。
毎日明け方までデザインと格闘、 出ない…アイデアが出ない…!
絞り出そうにも出せない、生む苦しみ…、 焦りました! 
焦れば焦るほどデザイン画が描けませんでした。
辛い苦しい…!  約束の日は迫る!
身体はクタクタになり、情け無い事に限界を感ぜずにはおれませんでした。
明日が期日、気に入るデザイン画が描け無い…
身体の疲れもありましたが、それよりも精神的な疲れの方が辛くて
つい弱気になり…
もういい、仕方が無い! デザイン画は気に入らないけど、明日持って行こう…!
つい睡魔に負け、2・3時間寝てしまいました。
突然夢の中にモノトーンの“円のデザイン”が浮かび、
喜び一杯 “できたあ…!”と飛び起きると、それは夢でした。
興奮が冷めない内に…、そして消えない内に…、リアルに映ってる内に
工房に飛んで行き、いっきに20分位で描き上げたのが、
この作品「ZEN」です。

この時私が学んだことは、想いが強ければ強いほど、力んで作品を創るのでなく、
自然体、肩の力を抜いて自分の心に素直に答えることが大事を学びました。

この作品は、
1991年「ワールド・グラス・コングレス1991ショー」(アメリカ・ダラス会場)
に於いて作品紹介される。 
その時会場に来てた、建築家やアーティストやデザイナー及びプロデューサー達等から、
「ZEN」は、東洋的でお前のオリジナル作品だと云われたのは、とても嬉しかったし、
その後の、ステンドグラスを続けていく自信に繋がりました。
また、この事が「アーキテクチュラル グラス アート」の本に載る切っ掛けでした。


投稿者 TT : 23:51 | コメント (0)