2004年07月23日

ステンドグラスへの想い6 (夢祠の虫編)

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title:「夢祠の虫」/1990   九州グラスアート展’90(日本グラスアート展)・優秀賞受賞


前回〈SGへの想い5〉の「zen」で、作家として何が大事かを教えられた。
自分自身をギリギリまで追い込み、力んで絞り出すように作品を描き、創ることが決して
良い作品を生まない…
作家として当然, 心の葛藤はある、そんな中でも自然体の自分でいられたら、肩の力を抜いて
自分自身に素直になれたら…と考え始めた切っ掛けになった作品でした。


切っ掛けから確信へと繋がり、私自身を人として、それ以上に作家として大きな変化を
与えてくれたのが、この「夢祠の虫」の作品です。
私にとって、ターニングポイントになった、貴重なかけがえのない唯一の作品だと思っています!
この作品は、当然公募展に出す以上、力を入れた作品ですが
でもそれ以上に特別の感情を抱いて制作した作品です。


このBlogの中でも、書いているように、私の息子は難病の筋ジストロフィーでした。
息子の病気が解ってから私達家族の生活は一変しました。
生き方、考え方、日常の生活、行動範囲全てで変わらざる得ませんでした。

女房の全ては母として彼の為にあり、父親の私が入れる状況に無いと言うより、
入れなかったと云った方が正しいかもしれません。
でも、父親として我が子に何かしてあげたい…、
母親の真似は出来ないが、父親として何が出来るだろうか? 毎日考えました。 
しかし、私の出来ることと云ったら一つしか有りません!
ステンドグラスを創る以外何の取り柄も有りません…

私は無性に彼の為に、衝動的に作品を創りたくなり、
息子が大好きな「虫」を題材に創作しょうと思いました。
私のスケッチブックに、ボールペンで落書きしていた虫の絵が、とても魅力的でした。
彼の虫(我が工房のロゴマークになっています)を中心に、
つたない親父の虫達を絡ませ、ちょっと遊び心を入れ制作しました。
この作品の制作中は、本当にとても楽しかった…、私自身、いっぱい虫達と会話しました。


親父から息子への、はじめてのプレゼント作品。
其処には理屈は有りません、理論も理由も有りません!
ただただ、彼への想いだけでした。
上手く描こうとか、テクニックとか、他人の目とか全く意識しませんでした。
私にとって初めての事です。
感じるままに描き、創作した作品! 
他に何が必要でしょうか?
誰でもが生まれながらに持ってるピュアな素の部分、内面に温かく湧き上がってくる衝動…、
愛おしくて愛おしくて、ひとつひとつ丁寧に愛情を込め創る…
これが、最も大事なことだと学びました。


本当に、かけがえのない宝物を初めて手にした感じです。
この時以来、私は作品に対する姿勢や1人の人間としての考え方が変わりました。 
感じる作品を創っていきたい、味わう作品を創っていきたい、
心に温かく優しい余韻を残せる作品を常に創っていきたい。
夢はいっぱい広がります。 
理論や知識で作品は創りたくない…
、これが私の本音です!
理論や知識を決して否定はしません、学んでいく過程で大事なことです。
しかし、湧き上がる感情や想いに、理論・理由は要らないと思います。
何故か其処を越えたところに、答えが有るように思えてなりません。
私自身の美学、内なる私自身との対話、素直に行動できる私を見つける事が出来たら
素晴らしいことだと思います。


  

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2004年07月06日

わが家のがんばれ共和国 2

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週刊女性3月30日号(平成5年)
「ヒューマン・ドキュメント がんばれ!小さな戦士」の記事より


〈トシくん、転んでばかり、どんくさか〉
俊輝くんの身体が病魔に侵され始めたのは、ちょうどこのころからでからであろう。
母親と買い物に出かけても、すぐ座り込んでしまう。
公園でも子供同士で遊ぶより、ひとりポツンとアリなどを眺めている子供だった。
母親は、それもこの子の個性だと受けとめるが、父親は元気な子に育ってほしかった。
保育園に通うようになった俊輝くんの父母会に出席した時だ。
「あの子だけ、ジャングルジムも登りきらんとよ、おかしかね」
ほかの親たちがわが子のことをヒソヒソ話すのを耳にした父親は、翌日から特訓を開始する。
近くの小川の堤で毎日駆けっこの練習をするのだが、俊輝くんは一向に速くはならなかった。
それどころかスキップさえも、いつまでもできないでいた。

「トシくんは、どんくさか」
保育園の年長組になると、俊輝くんは仲間はずれにされることもあったが、
自分からそれを口にすることはなかった。
「ぼく、ライオンズの帽子ば持っとらんけん、みんなと遊ばんちゃん」
親に心配させまいと言い訳をいうような子供だった。
しかし、小学1年生になった俊輝くんに、城下聖生(まさお)くんという大親友が現れる。
学校から帰ると2人して近くの野原や川を歩き回っては、
暗くなるまで遊ぶ毎日が始まった。
「トシくん、お願いだからゴキブリだけは飼わないで!」
母親も悲鳴をあげることはあったが、そんなわが子のよき理解者だった。
俊輝くんの欲しがる本は、家計を切り詰めてでも買ってあげる。
おかげで彼の部屋は、小さな図書館ほどに本でいっぱいになった。
学校でも、俊輝くんは昆虫博士といわれて、友達から一目おかれる存在になる。

父親の仕事も「日本現代工芸展」で準大賞をとってからは順調で、
すでにアトリエを持って生活も安定していた。
ただひとつ両親の頭を悩ませていたのは、俊輝くんが大の算数嫌いであったことだ。
「カラスが一羽いるとろに三羽飛んできたら何羽になるかな?」
母親が絵に描き、噛んでふくめるように説明しても、俊輝くんは理解できなかった。
時間の概念もないので、彼にとって1時間後も10時間後も同じ“あと”でしかない。
「お母さん、1週間が7日ってどういうこと?」
俊輝くんの頭の中では、時間の流れはないようなのだ。
そんなわが子に、母親は1年の1学期、徹底的に算数を教え込もうとする。
熱中するあまり、俊輝くんをひどく叱ることも度々だった。
「本は読めるのに、どうしてこんな簡単なことがわからんとか!」
父親も、泣いて勉強を嫌がる俊輝くんの頬を叩いたこともあった。

そんな1年の夏休み。
父親のアトリエに行こうとした俊輝くんが、バスを乗り間違えて
福岡医大前で迷子になっていると、学校に連絡が入り、担任の先生と母親が迎えに行く。
すると先生は、こんなことを切り出した。
「前から気になっていたんですが、トシくんがしょっちゅう転ぶんです。
もし、どこか悪いとこがあったらいけんから1度、病院で診てもらってはどうですか」
母親が心の奥に閉じ込めていた不安が、止めようもなく広がった。
翌日、母子は福岡医大に診断を受けに訪れた。

「お子さんは進行性筋ジストロフィー症です。 ご主人を呼んでいただけますか」
検査後、医師はそう告げた。

母親はアトリエで仕事中の夫へと電話をかける。
声を震わせながらも必死で平静さを保って話しをする妻に、
父親はこういうのが精いっぱいだった。
「とにかく、すぐいく」
車で10分ほどの病院へ行く間、わが子が生まれた時からのことが、次々浮かぶ。
自分の勝手な期待が病気の息子をいたずらに苦しめてきたのかもしれない。

                             
                                   取材・文/小林篤
・もうすぐ、11回目のがんばれ共和国です。
 いろんな出会いが、今年もあるでしょう。
 振り返ると、いろいろありました…

投稿者 TT : 22:28 | コメント (0)