2004年08月29日

ありがとうございました!

Ganbare45.jpg
彩加ちゃんの笑顔ステキですね!
Gannbare39.jpg
お母さん達の喜びは、みんなの元気のもとです!  
04「がんばれ共和国in九州」/湯布院七色の風


ありがとうございました!
第11回目「がんばれ共和国」、事故もなく、怪我もなく
無事終わることができました。
始まる前日までは、今年も無事終わるだろうか? 何も無いだろうか?
心配ばかりで、毎年寝不足で現地に行くことになります。
今年も同様、会期中も同じで2泊3日、殆ど睡眠不足で便秘状態…
しかし、キャンパー(障害者本人)や家族の元気な姿と笑顔に会えると
忘れて動き回ってる自分がいます。
毎年参加してくれるボランティアの人達も一緒です。
再会するとうれしくなる、家族に一年ぶりに逢う感じです。


今年初めて参加する家族13、キャンパー14人…、
そして、いつも参加してくれる家族11!
今年は例年になく参加家族が多く、まして初めて参加の家族が多かったのと
重度のキャンパーが多い状況、正直云って始まる前はすごく不安でした。
でも、蓋を開けてみると無駄な心配でした。
新しい出会いが沢山ありました、しかし、反省点、問題点も多く、
終わった現在、頭の痛い問題が一杯!
毎年、スタッフみんなで反省し、会議を重ねて悪い所や至らぬ所は
改善してるのに、問題は全く無くなりません…
ただ云えることは、その都度, 問題点が高度に成ってきているのだけは確かです。
反省のテーマは、その年々良いタイミングで起こり、
次の年には必ず改善して臨んでいるのですが、また新しい難解な問題が起こります。
年毎に問題点は深くなってきています!

今年の問題は、11年間続けてきた弊害でしょうか?
スタッフ各自の心構えと関わり方が問題だったように思えます。
正直云って、これは致命傷ですよね…!
でも、今後続けて行く為にも、私自身の反省も含め大事なことだと思います。
来年に向けて、また今日から反省の日々が始まります。
ご家族の方達やキャンパーの喜ぶ顔を見たら頑張らずにはおれませんよね。

「がんばれ共和国in九州」は大層な事をするつもりは有りませんし、立派な事をしてはいません!
参加する人達が2泊3日を愉しんで、重い荷物を少しだけ軽くする場だと思って
ボランティアとスタッフ全員頑張っています。


投稿者 TT : 11:33 | コメント (0)

2004年08月19日

ステンドグラスへの想い7(長崎電気ビル1)

nagasaki002.jpg
CREATION=Heaven(天の創世)・Nature(地の生々)/ w2500×h7000
長崎電気ビル正面玄関ロビー / 1994

現在までに創ってきた作品のひとつひとつに、想い出やドラマがたくさん有ります。
そんな中に「縁の仕事」が有ります。
「縁のある仕事」、今までに創ってきた作品全てが縁のあった仕事ですが、
追いかけなくても、無理をしなくても来る仕事、縁のある人でしか創れない仕事は
不利な条件の中でも制作者の意志の通る仕事です。
逆に、無理して取る仕事は、大きなリスクを背負い込ま無ければ成りません。
辛い仕事です。

長崎電気ビル(九州電力)のこの仕事は、私にとって「縁の仕事」でした。
私の所に依頼があったのは、ステンドグラスの大きなプロジェクトが長崎であるらしい…
と噂を聞いて、しばらくしてからでした。
地上11階建てのビルは、基礎工事は完全に終わり,
1階フロアーができ2階部分に掛かっている時でした。
計画からかなり時間が立ち、進行途中で依頼があるのは、小さな物件では良くありますが
大きなプロジェクトでは大変珍しい事です。
最初、信じられなくて、“何で…?”でした。

大手ゼネコンの担当者より頂いた、その当時珍しかったCGで作成されたコンセプト。
各階のカラーや家具類、仕上げ等の他に、ひとつひとつ、テーマに沿って綿密に計画されてました。
正直、とんでもない仕事を受けてしまった…、うれしさよりも怖さが先でした。
怖さは、その後、出来上がるまでの一年全く消える事は有りませんでした。
しかし、デザインに取り掛かって悩みました、何を描こうか、何を描いたら良いのか全く解りません。
相手側からは、「長崎市の花や県の花、長崎に関わる歴史的な話し」が有りましたけど、
私の中では疑問でした。 

ご存じのように、歴史ある長崎の町はステンドグラスに溢れています、
ステンドグラスのメッカとも云える町に、「何をテーマ」に描けば良いのか?
悩んだ末、私の中で出した結論は、
「何で高いお金を使って、観光ポスターを創らなければならないのか、もう長崎では充分だろう!」
打合せの会議の中、オーナー、建築家、ゼネコン担当者の前で、
「観光ポスターみたいなステンドグラスは創りたくありません。 
私としては精神性を込めた作品を制作したい!」と生意気に云ってしまい、
受けいられるか、駄目と一括されるかとビクビクでした。
すぐすんなり「是非それでお願いします」との回答、本当に意外でした。 
すんなりと受け入れて貰えば貰ったで、大変なプレッシャーでした。
最初の計画では、ステンドグラスは玄関正面ではなく、サイドに位置してました。
設計図と完成図をみてもピンとこなくて、何度も話し合いのすえ、
正面玄関に決定した時は、「よし、これで良い」心の底から俄然燃えてきました。
「縁の仕事」なんですね、全てが良い方向に進んでいきました。
何故か宿命みたいなものを感ぜずにはおれませんでした。


次にデザインのコンセプトを書きたいとおもいます。

投稿者 TT : 22:59 | コメント (0)

2004年08月04日

わが家のがんばれ共和国 3

toshiki-4.jpg

toshiki-3.jpg
週刊女性3月30日号(平成5年)
「ヒューマン・ドキュメント がんばれ!小さな戦士」の記事より


お父さんも、お母さんも、トシくんをちゃんと守っちゃあけん!
父親は俊輝くんに抱いていた将来の夢が崩れてしまったことより、
そのことがショックだった。
「おれの人生はよか。 もう終わってよか」
父親の人生にとって大切なものは何か、この時ふっとわかる。
病院に着くと、診察室の前で立ちすくむ妻とわが子に父親は力を込めていった。
「心配せんで、よか!」

進行性筋ジストロフィー症は、筋肉の細胞が壊れて萎縮し、その働きが失われる難病である。
発症年令・侵される筋肉の範囲・遺伝形式の特徴の違いから、
いくつかのタイプがあるが、俊輝くんの場合は最も重いデュシャンヌ型。
この型は男児にだけ発症し、腕・太もも・背筋・腹筋・心筋などが徐々に侵されて、
多くは20歳前後で寝たきりとなる。
いまのところ根治療法はなく、あまり長生きはできないとされているが、
最近の遺伝子研究の進歩で、原因などが解明されつつある。

宣告から1ヶ月あまり、母親は昼は笑顔を装い、夜は泣き明かす日々を過ごす。
俊輝くんが算数ができないのは病気の関係からだと医師にいわれたことも、
母親の悲しみに追い打ちをかける。
どうしようもない自己嫌悪の中で、母親は夫に生の感情を吐き出すようになる。
それまでは、妻の思いにあまり耳を傾けることのなかった父親が、
包み込むように受けとめはじめた。
夫婦の関係が少しずつ変わるうち、父親の作品も大きく変わっていく。
1年後の夏に大きな賞をとった作品は、俊輝くんの虫の絵をデザインに使ったものだった。
「これはボクのステンドグラス!」
俊輝くんは父親の授賞式で誇らしげにいった。
2年生の夏休みに一家は、この時の賞金でアメリカ旅行をする。
両親はわが子が歩けるうちにと、学校が休みのたびに家族で遊びに出かけるようになった。


俊輝くんは、母の日に名もない小さな草花のブーケを母にプレゼントする、
優しい男の子に育った。
しかし、俊輝くんの病状は去年の1月頃から急速に進む。
そして3月のある日。
「お母さん、ぼく歩けなくなるの? どうしてなのか教えて」
くつも脱げなくなった俊輝くんは、初めて不安を口にしたのだ。
父親の出番だった。
「お父さんが教えちゃ。 一緒に風呂で話そう」
いつのころからか俊輝くんの入浴は父親の役目になっていた。
湯船の中、同じ目の高さで向き合うと、父親は話せるような気がしたのだ。
裸の息子を膝に乗せ病名を告げた父親は、ひととおり説明するとこういった。
「世界中のお医者さんが治る薬を研究しとることは確かやけん。
落ち込むことは、いらん。
「自分のやりたいことや夢をしっかり考えんね」
父親は、小さな身体をぎゅっと抱き寄せた。
「お父さんもお母さんも、トシくんをちゃんと守っちゃあけん、心配せんでよか!」
父親の腕の中で「うん」と頷いた俊輝くんは、風呂から出ると明るくいった。
「お母さん、ぼく病気のこと解ったよ」


そんな折り、一家は富士山のキャンプを知って申し込んだのだ。
俊輝くんは、5月には歩けない身体になってしまう。
車いす・障害者手帳の申請やら補装具づくりで、両親は夏までを胸のつぶれる思いで過ごす。
そんな重苦しい日々を、何とか明るくやってこれたのも、
熱気球に乗るという夢があったからかもしれない。

サマーキャンプが終わって半月もたたない9月中旬。
突然、高見家に電話が入る。
「福岡の倉重安見さんが、トシくんを熱気球に乗っけてくれることになりました!」
マカセナサイの吉田さんからだった。
11月8日。  佐賀県嘉瀬川の河原で、父親に支えられた俊輝くんは熱気球に乗る。
東京から駆けつけた吉田さんは、緊張で泣き出しそうな俊輝くんに帽子をかぶせた。
ボーッというバーナーの音で、熱気球はふわり浮かびあがると、見る見る上昇する。
俊輝くんの小さくなっていく顔が、たちまちほころんだ。
みんなは、この笑顔を見たかった。
つらかった日々が青空に消えた。
「お兄ちゃーん!」  稲刈り後の田んぼの中を妹の友梨ちゃんが熱気球を追いかける。
足が痛くなって座り込んだ兄は、「やっぱり立つ!」と身体を伸ばして手を振った。
夢は、みんなに力を与えてくれる。

                おわり
             
                                 取材・文/小林篤


この1・2・3の文章は息子の俊輝が3年生の時、11年前に週刊女性に載った記事を
そのまま3回に分けて写したものです。
私の独りよがりかもしれませんが、
関わった「がんばれ」の仲間達の温かい好意を、少しでも知って頂ければと思い載せました。
「がんばれ共和国」を毎年愉しみに、難病と闘ってる子供たちと家族が全国にいます。
東北(蔵王)・関東(足柄)・愛知(宝来)・九州(湯布院)・沖縄(名護)で
夏休みに行われるサマーキャンプ!
たくさんの人達、あらゆる職業の人達が、毎年夏になるとボランティアとして、スタッフとして
無償で駆けつけてくれます。
子供たちの喜ぶ顔、家族の喜ぶ顔、お母さんの喜ぶ顔を見たいが為に、
仕事で疲れきった身体もいとわず、汗まみれになって2泊3日、一生懸命動き回ってます。
中には、中学生も高校生も大学生もいます、自分の関わる職業でお役に立てるならと
駆けつけてくれる人達がいます。
みんな仲間です。 こころの中に温かいものを一杯持った仲間達です。
彼等がいる限り続けられると思っております。
もう13年…未だ13年です。  
九州は11年になります、これからどんな「がんばれ共和国」になるのでしょうか、楽しみです。


投稿者 TT : 23:14 | コメント (1)