2004年11月30日

しいのみ学園によせて

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「すきなもの」 としき作

・小さきは小さきままに 折れたるは折れたるままに コスモスの花咲く

今年の初め、たまたま雑誌サライを目にして
「しいのみ学園」の事をweb上に書いたところ、驚いてしまった。
9月の終わり頃からコメントが急に来だして
(NHKスペシャル/老化に挑む日、あなたの脳はよみがえる)を観た方達から…
2・3日前にも、遠くフロリダからコメントを頂いた。

50代以上の方々には、特に印象深いみたいで、
私が一言「しいのみ学園」の映画を見た記憶を書いたところ、
私も見たと云う方々からコメントを頂き、忘れていた記憶を思い出させて貰った。
私自身驚いてる事だが、
「しいのみ学園」この名前を私は50年間忘れた事がなかった。
何故だか自分でも解らない。
小学校低学年、生徒みんなで、見に行ったのか学校で見たのか…覚えていないが
(当時は、よく学校の講堂に集まって映画を鑑賞した!)
子供心に特にインパクトの強い数少ない映画のひとつと思う。
(「つづり方教室」という映画も印象に深い)
日本での障害児教育の幕開けになった出来事、
「しいのみ学園」を自費で開設するまでの、昇知先生御家族の葛藤を描いた映画だったと思う。
願わくばこの映画をもう1度、是非見たいと思うのは私だけだろうか?

昇知先生の冒頭の言葉、大好きな言葉である。
御年99歳の現在も現役で頑張っておられる先生、生涯を通して打ち込んでこられた「障害児教育」。
先生のお陰でどれだけの障害児が、そして障害児の家族が助けられただろう。
日本に障害児教育の養護学校が出来たのは、
昇知先生が自費で作られた「しいのみ学園」が切っ掛けと聞く
50年立った現在、養護学校は、当初とは逆の問題を抱えてはいるが
障害児教育の原点を忘れず、良い方向に進化していって欲しい…
現在も福岡市のはずれ井尻駅の近くにある。


投稿者 TT : 06:12 | コメント (1)

2004年11月23日

がんばれステンドグラス教室の歴史

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1993/「第2回がんばれ共和国サマーキャンプ」  富士宮市/富士山麓山の村多目的ホールにて

今から11年前、年に1回夏休みに行う
『第2回がんばれ共和国サマーキャンプ(難病のこども支援)』にて
ステンドグラス教室をスタートする。
前の年に初めて家族で、「第1回がんばれ共和国サマーキャンプ」
参加したのが全てのはじまりだった…

事務局長の小林氏と、風呂での何気ない会話から、
1993年(平成5年)ステンドグラス教室をキャンプ会場ですることになった。
丁度、その当時「ステンドグラス作家協会」の解散問題が浮上、
新しく出直そうと名前を「ステンドグラス芸術家協会」に改め、
協会の綱領をどうするか検討する…
内容に(ステンドグラスの普及のひとつとして、社会に根ざした…)の
一文が入ったのが切っ掛けだった。
社会に根ざす…とは? 会員全員で話し合う、
その時、たまたまがんばれ共和国に関わっていた関係上、
がんばれ共和国サマーキャンプにボランティア参加を提案する。

子供の難病に苦しんでる家族…、
特に母親は、やりたい事があっても、ほとんどあきらめ無ければならない!
お母さん達や子供達に、
夢中になって楽しむことで重い心の荷物を少しでも軽くして貰おう!
ボランティアでお手伝いする我々も喜んで貰うことで、
新たな喜びの感動を得ることが出来る。
心に触れた温もりを忘れないで、参加した人達ひとりひとりが自分の地域に帰って、
身近な人達に少しでもその喜びを還元出来たら…
それこそステンドグラスの普及のひとつに成るのではないか?
自分たちの利益だけを求めるので無く、
垣根を越えて交流が始まれば素晴らしいことだと思う!

会員全員の賛成のもと、協会のメイン行事として行うことに決まった!
会員はもちろん、あらゆるステンドグラスの知人達に声をかけ参加を呼びかけた。
北は東北・南は九州から40人近くの
プロのステンドグラス作家の人達が手弁当で集まってくれた。
その上、業界の問屋(株式会社十條)が賛同し多大な協力をしてくれた。
忘れもしない渋谷の東急ホテルティールームでの話し合い、
わざわざ十條の老田氏も名古屋から駆けつけてくれた。

第一回目参加メンバーは、
関東からは、内藤修氏御夫妻、白石寿男ご夫妻、
横浜からは大村典子さんとスタッフの人達、今は亡き伊籐誠二氏、
名古屋からは三ツ矢亮一氏、浜義夫氏、十條の老田氏と社員の方、
九州からは山下哲馬氏ご夫妻、後藤由美子さんとスタッフの方々、
それに私のスタッフとカメラマン…
他にも、沢山の方々がボランティアで参加してくれた。
ありがとうございました!心から感謝いたします。

今年で11年! 良く続いたものである。
途中、九州エリア、東北エリア、中部エリアが新たに加わる。
東北(蔵王)エリアは、仙台の五十嵐幸子さんが中心で頑張って頂き、
 今年は垣根を越えて40人参加とのこと、
関東(富士山や足柄)エリアは、最初からこの9年間内藤修氏
 「ふれあいステンドグラス村」という名称で頑張って頂いてる。 
  頭が下がる…心からお礼申し上げます!
中部(鳳来)エリアは、(株)十條の岡田伸樹氏を中心に
 社員教育の一環として社員の方々にも頑張って頂いてる。
またさらに、(株)十條さんにはこの11年間(全エリアに無償でガラスと必要な工具類等)
提供して頂いてる。

たくさんの方々の優しい心(愛情)で、今日まで続けてこられた。
難病と闘ってる子供達…、毎日介護でクタクタに成るまで頑張ってるお母さんとお父さん、
わがまま云いたくても我慢している兄弟児達…
ステンドグラスの時だけは、病気のことも、介護の辛さや疲れも、わがままも一瞬忘れ
みんないい顔をしている.
お母さんが夢中に成りすぎた為に、泣き出しお漏らしした子も、
お母さんが作ったステンドグラスを、大事そうに手にし満面の笑みを浮かべ喜ぶ…
今後も、参加する皆さんに大変御迷惑をお掛けすると思うが、
毎年楽しみにしている子供達や家族がいる限り続けたいと思っている。

(社会に根ざした…、)11年立った現在、答えは出ただろうか?
答えは出なくてもいい…。
参加した人達ひとりひとりの心の中に芽生えた
小さな喜びを感じれれば…
十條ニュースで毎年呼びかけてくれるボランティア募集!
毎年、各地域で新しい人達が参加してくれる現実がある。
続けることは、すてたもんではない!
小さな輪が少しでも大きな輪になり、
そして環に変わる日が来ることを、心から願う!

投稿者 TT : 21:19 | コメント (1)

2004年11月17日

散歩

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『秋』 としき作


毎朝、大濠公園を歩く、1週2kmを2週する。
軽くストレッチして歩いているが、朝早い公園は気持ちがいい…、
池の水面も時間帯で様子が変わる、黒曜石の割面の様にみえたり、鏡面 にみえたり
朝早いと空気も水面もシャープにクリアーに見える。
歩いてる人も様々…、鳥の鳴き声と人も風景…
飽きが来ないし楽しい時間である。
しかし毎日だと少し飽きて、いつものコースを変えたくなる。
公園を一週した後、美術館の横を通って福岡城跡を裏から歩いてみる。
階段上った林の中の気持ち良さ、桜の名所だけあって、現在桜の葉の紅葉がとても綺麗だ、
石垣とよくマッチして絵になる。
平和台球場跡から陸上競技場(福岡国際マラソン会場)へ抜け、牡丹園に行く。
ここには毎年楽しみにしている桜がある。
根尾村の薄墨桜の子木が、人知れず植えてある。
その横には滝桜の子木、春が来るのが今から楽しみ。
歩いていると小さな発見がある、また楽しみがひとつ増える。

しかし反面、公園の中の青テント…どうにか成らないものか?
市や県、国の行政の無策を嘆くのは私だけだろうか…

投稿者 TT : 05:15 | コメント (0)

2004年11月07日

ステンドグラスへの想い10(宮崎空港2)

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花・トロピカルM/宮崎空港ビルアトリウム/w23000×h3500

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ストレリチア(極楽鳥花)・宮崎空港ビル 3Fサロン w600×h1200

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ハイビスカス・宮崎空港ビル 3Fサロン w600×h1200

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ブーゲンビレア・宮崎空港ビル 3Fサロン w600×h1200


大きなプロジェクトが動き出す、時間をかけ、打合せの回を重ねる…
工事の問題(空港は年中動いてるために休む事は出来ません。)
空港ビルのメインエントランス、まして大理石で出来た吹き抜けアトリウム!
アトリウムの下、いつも沢山の人達が利用する危険な状況の中での工事…
地上25mの所に足場を組むのですから…想像するだけで怖い!
株主総会・役員会と承認を得るために空港ビルの関係者の方々は,
実行のGOサインを出すまで 大変だったと聞きます。
宮崎空港の名物、人気のからくり時計。
時報をつげるシンセサイザーを使った現代的な音楽と共に、高千穂のお神楽を舞うからくり人形…
1時間に一回の出番!
次の出番までの、55分間の時間を埋める使命を与えられたステンドグラス…、
5周年事業の一環として重要な役目を背負う。


宮崎のイメージをどう表現し、市や町や人々をどう表現するか?
宮崎の明るさと暖かさを念頭に、青空をバック全面に表現する、
青空の下、宮崎の特徴を入れてゆく…
両サイドに分かれて描いてる緑の部分は、本当はひとつで
ふたつ合わせると宮崎県の形になっている。
左が北部で右が南部、ようく見ると都井岬もある…、
緑の中、円の集合は人々を表し、
その中の大きい変形の楕円は市の位置を表している。
ただし、北部は殆ど山間部のため特徴がなく、あえて高千穂の町を入れる。
画面の左右横に走っている赤い線は、動脈である国道10号線を表し、
ステンドグラス画面を引き締める役目もあるが、
宮崎県民の情熱的なエネルギーの意味も持たせたかった。

いまだに宮崎の経済人の方々の、心の中に生き続けている
岩崎イズム(宮崎交通の創始者理念)をどう表現するか?

青空を背に、全てを大きく見守る存在感を極彩色のガラスの枠で表現する。

以上の事を役員会に出席して説明する。
滞りなく終わった後、キーマンである重役より、「アトリウムのFixの一部の計画で進めてきたけど
全面をステンドグラスにしたらどうなるか?」と尋ねられる…
当然、一部に入れるより、全面ステンドグラスにした方が良いと思います!と答える。
「解りました。 その前に再見積と全面入れたときの再デザイン画を、もう一度出して下さい。」
やっとデザイン画を描き始めて1年、制作のOKが出る。
何度も足を運び、一つ一つの問題を解決しながら進めるのは大変でしたが、
しかし、やりがいのある充実した1年間でした。

さて、問題は山積みでした。
制作に入るまでの1年間、脳裏を離れなかったのが、実寸の型紙をおこす場所探しでした。
しかし、ラッキーな事にお世話して頂いた会社のビル、ワンフロアー空き部屋があり
そこを無償で借り、フロアー一面に24m紙を敷き、
その上を這いつくばりながらスタッフと2人、2週間かけ描きました。
空調が利いて楽でしたけど、2週間這いつくばっての制作は、膝と腰に正直厳しかった…
それも、今では良い思い出ですけどね!
ステンドグラスの制作日数は、約半年かかりました。
計画からはじめての総制作日数1年半!
思い出深い、充実した1年半でした。

「見る人達が参加できる作品」
長崎電気ビルに関わって以来、私自身の心の中に絶えず消えないであった「見る人達が参加できる」
ステンドグラスとは…?
ここ宮崎空港でも最初に考えたことは、
公共施設と云う場所柄、
どうしたら利用する皆さんが参加できるステンドグラスが出来るだろうか?でした。
しかし、長崎電気ビルと同じ表現方法は取りたくなかったし、現実問題として出来なかった。
なぜなら、宮崎空港ビルではアトリウムの中、地上25mと高い位置にあるため、
見る人達は見上げることになり、バックには青空しか見えない…
面取りガラスの効果が全く発揮されなくて、平面にしか見えないことです。
苦肉の策として取ったのは、メインである花に鮮やかな色を使わず、無彩色(Black&White)
で表現することでした(正直云って、わたしの大好きな表現方法ですけどね)。
見る人達に、好きな色を自由にイメージして見て頂きたい!
想像する事で参加する事に成らないだろうか…(勝手な思いかもしれない)
後日談だけど、当時の社長から最後まで云われたのは
「少しだけでも花に色を付けれないだろうか?」でした…!


※1997年アーキテクチュラル グラスアート誌(英国)に、草場邸と長崎電気ビル
と共に掲載される。
この作品も長崎電気ビルの作品同様、私にとって数少ない代表作のひとつです。


投稿者 TT : 11:20 | コメント (0)