2006年03月14日

小さな友人との別れ

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天使/としき作


振り返ると、一昨年、2004年1月から私のBlogは始まった。
もう2年になる、いろいろな事が公私共々あったけど、
今日までよく続けてきたものだと思う。


2年前、最初のBlogの記事は消してしまったので、今では残ってはないけど
ある少年の訃報だった。
今でもハッキリと日にちを覚えている。
1月23日/”がんばれ共和国”の反省会を兼ねて新年会を始めた冒頭、事務局のスタッフから
M君の訃報を聞く!
私自身、息子と同じ病気だった彼と彼の家族とは深く関わっていただけにショックだった。
当日は、九州にとっては珍しく雪がかなり降り、
翌日の葬式には雪の為、出席出来なかった。
(余談だが、後日仏前に二人でお参りさせてもらった。
申し訳ないが、このことは辛かったのでBlogから消してしまった。)


3月3日/息子俊輝の命日の前日、
風邪気味だったけど女房と一緒に、
仏前に彼の好物を上げたくて、あっちこっち買い物に行く‥
二人の一番の目的は、俊輝が大好きだった、フリージアの花を買うことだった。
今年は花屋さんに、まだあまりそろってなくて5〜6件走り回るが、
やっと目的の半分だけ手に入れる。
(現在は、友人・知人のお陰で仏壇の前はフリージアのお花畑‥)


息子の命日で、何となく夫婦ともブルーな気持ちのまま
夕飯を食べゆっくりしてると、突然の電話!
出てみると、”がんばれ共和国”患児家族のひとり、Tさんだった。
小さな声だったので聞きづらかったのだが、
かろうじて分かったことは、小さな友人の訃報だった。
まさか‥!
一ヶ月前,元気な彼に会ったばかりではないか‥
突然の別れ!
私の作品展にTさんの家族と仲良く会いに来てくれた、K君7歳。
大きく澄んだ目、色が白く肌がきれいで、
昨年のがんばれ共和国大統領を立派に務めてくれたK君。
思い出は尽きない‥

その夜はいろいろ彼のことを思い出し、また息子の事と重なり、あまり寝れなかった。
まして我が家にとっても、特別の日!
息子俊輝の命日での小さな友人の訃報…何という日なんだろうか‥
翌日3月4日がお通夜と聞いたので、風邪気味の体調を整えるために横になってると、
K君のお父さんとお母さんから、電話が入る。


両親とも、本当にK君を心から可愛がり、いつも家族3人、
Tさん家族と一緒に、仲良く生活をエンジョイしていただけに、
傷心しきったお母さん、お父さんの声を聞くと、
両親の心境、無念さが涙と一緒に伝わってくる。
K君は一人息子だっただけに、なおさら居たたまれなさを感じる!

辛いね、別れはもういいよ、もう沢山だよ‥

でも、これからも”がんばれ共和国”を続ける限り、
別れがあると思うと辛くなる。
これで5度目の別れ‥
我が女房、お通夜はさすが辛くて出席出来なかったが、
翌日のお葬式には出られないと思っていたのに、出席すると言い出したのには、正直驚いた。
息子俊輝が亡くなり、早5年‥寂しさと悲しみと辛さの日々
何度、涙を流してきただろうか‥
でも、過ぎていく時間の中で大きな変化が彼女の中で
起こっているのを感じる。

どこまで、子を亡くしたお母さんやお父さんの支えになれるだろうか?

女房はライア(小さなハープのような楽器)を通じて、
想いを確実に形にし、障害者の家族や子を亡くした家族と
小さな絆を深めて行ってるのには、ホントに感心する。
強くなった女房にエール!

投稿者 TT : 19:36 | コメント (1)

2006年03月01日

スティービー・ワンダー

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”タイム・トウ・ラブ”  新作オリジナルアルバム


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’05.11・23        朝日新聞記事より


私の仕事柄、四六時中アトリエに籠もる事が多い為、どうしても音楽は欠かせない。
CDを聞いてるかFMラジオをよく聞いている。
ある日、いつものようにラジオをかけてると、FMから流れてきた曲がある‥
何気なく手を動かしながら聞いてると、どうも聞いたことがある声だけど
誰だろう?
気になって番組の最後まで聞くと、スティービー・ワンダーだと知る。
エッ!  まさか‥よく知ってる筈なのに最後まで分からなかった。
歌い方が、私が知ってるスティービー・ワンダーらしくなく、しかし実に良い感じなのである。


10年ぶりの新作”タイム・トウ・ラブ”の中で1曲目にある
”イフ・ユア・ラブ・キャンノット・ビー・ムーブド”
反戦及びかなり批判した歌だと思うけど
好きですね
このCDは私の好きなコレクションの一つになりました。
当然、聞き終わった後、すぐにCDを買いに行ったのは言うまでもありません。


新作の宣伝で来日し、インタビューがラジオ番組の中で流れ、
その後、朝日新聞にインタビュー記事が載り読んでみる。
プライベートで悲しい事や辛い事などがあり、
創作意欲が一時萎えた後の、10年振りに出したオリジナルアルバムだと知る。
だから最初曲を聞いたとき、心に響いたのでしょうね。


彼が記事の中で
「この10年、いわば”人生を生きていた”んです。
 私たちは、牢獄に捕らわれてるのではないけれど、人生そのものに捕らわれている。 
そこには悲しみの時もある。 嘆きの時も、幸せの時も。
そして今、愛し合うとき(タイム・トウ・ラブ)が来たと言うわけです」

と言っている。

また、さらに
アンチ平和、アンチ愛にあふれている。  ある種のリーダーは、アラーや神への
人々の献身を自分のために利用している。でも我々は人間で、選択する能力がある。
自由意思がある(誰かの言いなりになるのではなく)、
自分が何をしているかに責任がある。   私も、歌うことに責任を負ってます

とも言っている、何故か考えさせられてしまう。
しかし、インタビューで最も私の心をとらえた言葉は、


”私に出来るのは、私が出来ることについて、私が出来るベストを尽くすことです”


今から20年ほど前、”ウイ・ア・ザ・ワールド”が大ヒットしてる最中、
彼が福岡公演に初めて来た時、ご縁で彼の送迎の車を運転することになった。
普通できる事ではない出来事、
2.3日一緒に行動した体験は、今も記憶にハッキリと強く残っている。
何よりも、私の思い出に残ってるのは、車中で常に聞いた彼の生歌!
ライブの姿そのままに、絶えず歌っていたのを思い出す。
側近の人に尋ねたところ、彼は歌を歌いながら、たえず作曲してるとのこと、
その為か、ソニーの録音機があるスタジオがないかと、しつこく訪ねていたことを思い出す。
強面のお兄さん達がボディーガードとして何人も着いて来てたが、
そんな中で、彼の穏和な人柄は際だっていた。


2・3年前か、記憶は定かでないが新聞記事で、実の兄さんが亡くなったと知った時、
多少知っていただけに、ショックだった。
プライベートの時もライブの舞台でも、
常に彼の足代わりとして兄さんは、自分の肩に、彼の手を掛けさせ
誘導してた姿が強く焼き付いている。

兄さんが亡くなったり、最初の奥さんがガンで亡くなったり、
その上尊敬していたレイ・チャールズまでもが亡くなり、かなり落ち込んでいたと思う…
彼ほどの天才でも歌えなかった時がある。
しかし、悲しみを乗り越えて出来たアルバムは、素晴らしい作品に出来上がってる。
娘さんとのツーショットとデュエットが微笑ましい!

投稿者 TT : 17:38 | コメント (0)