2007年11月06日

ステンドグラスへの想い25 「塊・KAI」

KAI-web.jpg
塊・KAI / ' 87年鑑=グラスアート入選   w900×h1100×d600 /1987


前回の「TATTO]のすぐ後に製作したのが、この立体作品の「塊・KAI」/1987です。
「TATTO」製作途中にフッと頭に浮かんだイメージを、ガラスを組み立ててる時に即興で
型紙の横にラフスケッチしたのがこの作品です。 だからデザイン画が有りません。

丁度某工芸展に2回目の応募展締め切りが近づいていた時期でもありました。
とにかく「TATTO」の製作中で時間が無く焦っていました。
1日24時間では足りない、正直30時間位ほしかったですね。
でも納得いく作品を創りたくて創りたくて、絶えず全力投球、最高作品を目指し
執念で闘っている状況でした。
「TATTO」に全力投球の最中でもあった為、身体的にも一番無理していた頃だったが、
反面最も脂がのりきっていた時代だったと思います。
(現在では、もう一度その時の体力と情熱がほしいですね…!)

初応募作品「∞−宙」は、おかげで初入選しましたが、2回目の「塊・KAI」出展については、
私の数ある作品の中でも、最も嫌なエピソードがあった作品です。
私を某工芸展に推薦した人から”ジンクスがあり2回目は落ちることになってる”と
出展する直前に突然言われ、正直驚きました。
この作品は、私自身会心の出来と確信し特に自信が有っただけに、
不用意なその言葉は大変ショックでした。 案の定見事に落選しましたけどね。
この事以外にも会への不信感等があり即退会し、一匹狼でやっていく決断をしました。
その後は公の組織にはなるべく距離を置いてきました…今思うと内部は色々ありますね。
純粋に作品だけで勝負出来る場が欲しいと心から思いましたね…ホント純粋でした。
現在考えても、作品以外の裏取引が当たり前の世界は本当に可笑しいですよ。
政治の世界そのまんまでね…。
私も当時は若かったと思う、正義感に燃え突っ走っていた証拠ですね。

でも時間が経っても私の悔しさは癒されず、作品「塊・KAI」が可愛そうで不憫な思いでした。
どうしてもこの作品は、全身全霊を打ち込み製作しただけに、真の評価を計りたいと願いました。
そんな矢先にアート社がGlass Art 誌(すでに廃刊)の「'87年鑑=日本のグラスアート」作品募集の情報を知り、直ぐに応募しました。

入選作品113点/審査員4人:1人1票持ちで、4票が満点の中、3点と言う高い評価を頂きました。
4点満点1人(グランプリ)、3点9人の中に選んで頂いた事は、ほんと最高に嬉しかった。
3点を貰ったメンバーの中には、藤田喬平氏や家住利夫氏、横山尚人氏など‥各氏と一緒に選ばれたのは、私にとっては名誉でしたね。
この時程ステンドグラスをやって来て本当に良かったと思った事はありませんでした。
この事で、某工芸展への悔しい思いはホント御破算になりましたね。
それは正直嬉しかったですよ、単細胞人間ですからね。
自分自身が全身全霊打ち込んだ自信作が高い評価を受け、その後の自信と確信と情熱の
エネルギーに変わりました。
現在でも思い出すたびに熱くなります。
※この作品では、ブルーの色合いが想像以上に美しく表現でき‥今だに惚れてます。

作品を創る人達は、それぞれの想いが一杯詰まった幾つものエピソードがあるんでしょうね。
エピソードの数だけ確実に活き(生き)てる証ですね。

投稿者 TT : 11:48 | コメント (0)

2007年11月05日

ステンドグラスへの想い24  「 TATTO」

TATTO-web2.jpg
TATTO  w400×h700  
1987 / 第1回SGAA国際ステンドグラス作品展出展(アメリカ)

近頃、初期(ステンドグラスを始めた頃)の自分自身をよく思い出すことがある。
特にステンドグラスに関わっていた当時の心の内面とか、自分を取り巻く状況とか…
前にも書いたように、しゃにむに闘志を駆り立て、吠えていた時代。
頭の中は‥いや、身体全体ステンドグラス一色に染まっていた。
何を話すにもステンドグラスの事だけ‥、何を見てもステンドグラスに結び付け‥
イノシシ年生まれの宿命なのか? 猪突猛進そのまんま‥、 周りは迷惑千万である!
でも、自信持って云えるのは、ただステンドグラス一点にだけ集中していた。
ステンドグラスのデザインと技術の向上、レベルアップのみしか考えていなかった。
とにかく情報に関する資料集めと、日々の勉強は凄まじかったと思う。
私の生涯であんなに心砕いて、どっぷり浸かっていた時代はない。
俗に言うステンドグラス馬鹿である、しかし馬鹿と言われる事、
馬鹿と言う事に誇りを持っていた。
馬鹿に成れる快感は、若さ故の事かもしれない。

その当時、目指していたレベルがありました。
以前にも書いたように、”日本ステンドグラス グランドショウ”に出会った衝撃!
それからの私には、グランドショウに出された作品の数々と、作者の方達みんなが
仮想の敵(ライバル)でした。
グランドショウでの作品と作者の方達に申し訳ないが、当時は追い抜く事だけが目標でしたね。
ローカルでは、独り一匹狼で闘っていくのは大変な事です。  
まして環境に恵まれていない状況では、足下だけに目を向けていては、
レベルアップは望めないと本気で思っていました。
現在思うと、心は福岡や九州には殆どありませんでしたね。
特にステンドグラスが盛んな中央や海外に目を向けていました。
福岡で一番・九州で一番・西日本で一番・日本で一番・そして世界へ…
今では笑い話しで済まされますが、当時は本気で思っていて、自分で自分を駆り立てていましたね。
今思うと怖さ知らずも甚だしい、ホント恥ずかしい限りです。

この当時、やっと目指していた作品が出来たと思った作品が写真の「TATTO」です。
この作品は第1回SGAA国際ステンドグラス作品展(アメリカ)に出品したものです。
残念ながら落選しましたが、私にとっては感慨深い作品のひとつです。
この作品が出来た時、”やっと自分が目指していたレベルの作品が創れるようになった”と
思いました。
「TATTO」はステンドグラスをやり始めてから、常に心に温めていたイメージ作品の
ひとつでした。
 花札と刺青、誰も描きたい対象のデザインではありませんよね。

色々調べてみると、油絵やデザインやイラストには刺青が描かれてるけど、
ステンドグラスの世界では、まだ誰も描いてない未知の領域でした。
少し抵抗は有りましたけど、何故か私は絶対創りたかった。
私だけの‥誰も描いてない‥オリジナル作品を創りたかったのかもしれません。
余談になりますが、その後のモノクローム作品の時もそうでした。
常にオンリーワンを心がけ探していた時代でしたね。
この時テクニックとしては、初めてフッ素でエッチング(色抜き)したり、初めてボンディングを
試みたり、ガラス材料として鏡や普通のすりガラスを使ったり、ミラー面の塗装を抜いたりと
新しい試みを良くしましたね。
思い返せば一作品一作品がチャレンジでした。 
実際作品の製作日数は一ヶ月半近くかかりました。 
小さな作品ですが思った以上に長い時間かかりましたね。
出来上がった時には、精も根も尽き果たしホント何日か寝込みましたね。
その当時の試みのひとつひとつ、失敗のひとつひとつが確実に現在に生きてます。
特にデザインをする時には、対象が対象だけにダーティーな嫌なイメージにだけは
絶対表現したくないと思いました。

でも丁度製作をしてる時、運が悪い事に、ニュースで地場やくざのI組とD会の抗争の真っ只中でした。
仕事場のすぐ近くでも、I組とD会の銃による事件、 物騒な時代でした。
(そう言えばつい最近もD会の組長が銃で撃たれ亡くなる事件も、すぐ近所ですね。)
別に狙って刺青のデザインをした訳でなく、まさに偶然のタイミングでした。
この作品は中央の方では評判が良いのですが、その当時は地元に於いては
ホント敬遠され悪評でしたね。
そう言えば余談ですが「TATTO]は某大物俳優の所に行く話がありましたね。
結局話だけで終わりましたけど…
今では着物の先生の個人収蔵に成っています。

投稿者 TT : 16:04 | コメント (0)